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普遍は存在するか

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古代から続く哲学上の論争に、「普遍は存在するか」をめぐるものがある。中世において「普遍論争」と呼ばれた論争である。
「普遍」が存在するか否かは、いまなお分かっていないのだ。

ならば、今ここで、この2000年を超える論争に終止符を打ってしまおう。

普遍(性)とは「ある事物すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない」という属性である(「普遍とは何か」参照)。
単純化すると、「ある事物すべてに共通する(こと)」である。

では、「ある事物すべてに共通する(こと)」とはどういうことなのか。

認識を含む感覚の世界では異なるが、現実の世界では、すべての事物は、ただ個々に存在するだけである。
現実の「ある事物すべてに共通する」事物も、ただ個々の「ある事物」に個々に存在するだけだ。
よって、「ある事物すべてに共通する」事物とは、「ある事物すべてに共通する」事物として認識されたものでしかあり得ない。

「ある事物すべてに共通すること」とは、現実の「ある事物すべてに共通する」事物の属性ではない。
ある事物すべてに共通する」事物という認識の属性なのだ。

そうである以上、「ある事物すべてに共通すること」とは、「ある事物すべてに共通して存在すること」ではない。
『ある事物すべてに共通して(「ある事物すべてに共通する」事物という認識が)当てはまること』であることになる。

だから、普遍的なもの、すなわち普遍という属性を持つものは、すべて認識なのだ。
本質とは「ある事物すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない認識」である。
また、自然法則とは「ある事物(群)すべてに共通し、他の事物(群)すべてに共通しない認識」である。
さらに、数理法則、論理も「ある事物(群)すべてに共通し、他の事物(群)すべてに共通しない認識」である。

そして、これらの普遍という属性を持つ認識は存在する。
ゆえに、普遍という属性も存在する。
よって、普遍は存在する。
これが結論だ。

なお、人間の認識とは感覚である。
おそらく電流などの物理現象なのだろうが、それが脳内で事物を表したものという「感じる内容」となる。
ならば、物理現象としての認識は存在するが、「感じる内容」としての認識は存在しないと考えることもできそうだ。

しかし、例えば肉体的な痛みが物理現象として存在すると共に「感じる内容」としても確かに存在するように、感覚は、物理現象としても「感じる内容」としても確かに存在する。
だから、認識も、認識の属性(これも認識)も存在する。

ただし、感覚であるだけに、認識がその対象である事物に本当に当てはまることは、論証なり実証なりの形で証明されなければならない。
認識が「ある事物すべてに共通して当てはまる」ことも同様である。

だからこそ、自然科学において、新たに発見された自然法則が本当に「ある事物(群)すべてに共通し、他の事物(群)すべてに共通しない認識」であることを実証実験によって証明するのである。

Good? or Not Good?