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社会学者は、がくしゃかい?

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学問
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「本質とは何か」は、古代ギリシア時代から続く人類の謎である。世の中に、いまだ本質の標準的な解釈はない。無論、ここで言う本質とは、主観的な本質ではなく客観的な本質だ。

しかし、本質とは事物が持つ属性であることと、それが普遍的なものであること、という哲学の研究成果を踏まえれば、「本質とは何か」の答えはあっさり出る。

事物が持つ属性の中に普遍的なものを探すと、一つだけある。
それは、「ある事物すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」、すなわち「事物の普遍的な特徴」だ。
ならば、本質であり得るものは、これしかない。
よって、本質とは「事物の普遍的な特徴」である。

そして、「事物の普遍的な特徴」すなわち本質は、「事物が何か」を「〇〇という普遍的な特徴を持つもの」と規定する。「〇〇という普遍的な特徴を持つもの」は、事物の普遍的な定義に他ならない。

だから、哲学で言う本質である「それをそれたらしめるもの」は、曖昧な表現にとどまるものの、例えば「日本を日本たらしめるもの」や「あの問題の本質」など個別的なものも指し得てしまう点を除けば、正しい。

いずれにしても、「事物が何か」を規定する本質は、現実の見え方の根本をなすものである。
本質を見極めていない事物は、事物「そのもの」ではなく、事物「らしきもの」でしかない。

実は、自然科学では、例えば水が持つ「事物の普遍的な特徴」が「化学式H2Oで表される構造」という属性であることを見極めているように、自然界の多くの基礎的な事物の本質を見極めてきた。ただ、それが本質であると気づかなかっただけなのだ。

そして、水「らしきもの」ではなく水「そのもの」だからこそ、水に関連する自然法則は成り立つように、自然界の基礎的な事物が「らしきもの」ではなく「そのもの」だからこそ、自然法則は成立する。
自然科学では、本質をベースとして、多くの普遍的な自然法則を発見し、その体系である自然科学を構築してきたのである。

では、社会科学ではどうか。

ここで、社会の本質と、社会とは何かを見てしまおう。
事物から本質以外の属性である「偶有性(ぐうゆうせい)」をすべて捨象して(捨てて)残る属性が本質である。
社会から偶有性(ぐうゆうせい)をすべて捨象してみると、残るのは「価値のやりとり」と「人の集まり」という属性であり、これらの組み合わせが社会の本質だ。
ゆえに、社会とは「価値をやりとりする人の集まり」である。
ならば、社会の最も基礎的な事物は「価値」と「人」であることになる。

その内の、価値の本質と、価値とは何かも見てしまおう。
長くなるので、価値の本質を求めるプロセスは省くが、結論として、価値の本質とは「感情を引き起こす」と「認識の作用」という属性の組み合わせであり、価値とは「感情を引き起こす認識の作用」である。

対して、辞書では、価値とは「何らかの目的実現に役立つ性質や程度」(大辞林)とされる。
しかし、人は目的がなくても価値を感じるから、「何らかの目的実現に役立つ性質」は、価値だとしても、価値の一種でしかない。
また、価値が「程度」であるとすると、「程度」の「程度」はないから、価値の程度(高低や大小)はないことになるが、実際にはある。ゆえに、「何らかの目的実現に役立つ程度」は、価値ではない。
よって、「何らかの目的実現に役立つ性質や程度」は、価値の普遍的な定義ではなく、価値ではない。

辞書の内容は社会科学のこれまでの成果であろう。だとすれば、社会学者は、社会の最も基礎的な事物の一つである価値の本質を見極めることができておらず、価値とは何かを分かっていないことになる。
さらに言うと、社会学者は、そもそも社会の本質も見極めることができておらず、社会とは何かも分かっていない。

だから、言いづらくて身悶えするのだが、社会のために言わねばなるまい。
現時点で、社会学者は、自然科学者のような科学者ではないだけでなく、実は、学者でさえないのではあるまいか。

(小さい声で)「社会学者は、がくしゃかい(学者かい)?」

Good? or Not Good?