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経済学は、不経済学?

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経済学者の間で、経済学が危機を迎えているとの認識が広がっている。
資本主義の行き詰まりを始めとする経済の諸問題について、経済学が解決策を提示できていないとの反省からである。
今も、コロナ禍による経済悪化への効果的な処方箋をまったくと言っていいほど示せていない。
理論を根本から作りなおす必要性に言及する学者もいるようだ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ecoedu/36/36/36_4/_pdf

しかし、彼らの議論には「本質」という視点が抜けている。
それでは経済理論を根本から作りなおしても、本質を外したものになる。

では、そもそも本質とは何なのか。
古代ギリシア時代以来の謎ではあるが、本質とは、事物が持つ属性であることと、それが普遍的なものであること、という哲学の研究成果を踏まえれば、答えはあっさり出る。

それは、「ある事物すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」、すなわち「事物の普遍的な特徴」だ。事物が持つ属性で普遍的なものは、これしかない。
よって、本質とは「事物の普遍的な特徴」である。

そして、本質は、「事物が何か」を「〇〇という普遍的な特徴を持つもの」と規定する。
だから、本質は、現実の見え方の根本をなす。
本質を見極めていない事物は、事物「そのもの」ではなく、事物「らしきもの」でしかない。

自然科学では、それを本質と気づかぬまま、例えば水の「化学式H2Oで表される構造」のように、自然界の多くの基礎的な事物の普遍的な特徴、すなわち本質を見極めてきた。
そして、多くの基礎的な事物の本質をベースとして、多くの普遍的な自然法則を発見し、それらの体系である、社会にとって極めて有用な自然科学を構築してきた。

もしも自然科学で扱う事物が「そのもの」ではなく「らしきもの」であったなら、それはなし得なかったことである。
水が「そのもの」ではなく「らしきもの」、例えば「水らしき油」であったなら、水に関連する自然科学は成り立たない。

では、経済学ではどうか。

経済の本質と、経済とは何かを見てみよう。
事物から本質以外の属性である「偶有性(ぐうゆうせい)」をすべて捨象して(捨てて)残る属性が本質である。
経済から偶有性(ぐうゆうせい)をすべて捨象してみると、残るのは「対価を伴う価値」と「人の間でのそのやりとり」という属性であり、これらの組み合わせが経済の本質だ。
ゆえに、経済とは「人の間での対価を伴う価値のやりとり」である。
ならば、対価を伴う価値は、価値の一種であるから、経済の最も基礎的な事物は「人」と「価値」であることになる。

その内、人についてはまだ私も探求中につき、ここでは、価値の本質と、価値とは何かを見てみよう。
長くなるので、価値の本質を求めるプロセスは省くが、結論として、価値の本質とは「感情を引き起こす」と「認識の作用」という属性の組み合わせであり、価値とは「感情を引き起こす認識の作用」である。

対して、辞書では、価値とは「何らかの目的実現に役立つ性質や程度」(大辞林)とされる。
しかし、人は目的がなくても価値を感じるから、「何らかの目的実現に役立つ性質」は、価値だとしても、価値の一種でしかない。
また、価値が「程度」であるとすると、「程度」の「程度」はないから、価値の程度(高低や大小)はないことになるが、実際にはある。ゆえに、「何らかの目的実現に役立つ程度」は、価値ではない。

辞書の内容は経済学のこれまでの成果であろう。だとすれば、経済学者は、経済の最も基礎的な事物の一つである価値の本質を見極めることができておらず、価値とは何かを分かっていないことになる。
さらに言うと、経済学者は、そもそも経済の本質も見極めることができておらず、経済とは何かも分かっていない。

だから、言いづらくて身悶えするのだが、社会のために言わねばなるまい。
現時点で、経済学は、経済学「そのもの」ではなく経済学「らしきもの」なのではあるまいか。

その意味で、言う。
(小さい声で)「経済学は、不経済学?」

Good? or Not Good?