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新型コロナ対策の「本末転倒」と「対症療法」②

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「本末転倒」は、いわゆる知識エリートに多い。
知識エリートは知識を武器にして生きており、ゆえに知識を疑う意識が低く、無思考になりやすい。しかも、エリート意識が邪魔をして自分が無思考であることになかなか気づかない。
そして、無思考は「本末転倒」を生みやすい。

また、歴史的に、日本は知識を生産するより輸入することで生きてきた国である。ゆえに、近現代においては、知識の主要な生産・輸出国である欧米の人々に比べて、日本人は無思考になりやすく、よって、日本人には欧米人より「本末転倒」が多い。
だから、日本の知識エリートには、欧米の知識エリートよりも「本末転倒」が多い。

知識エリート集団である大企業でもそうだし、知識エリート集団の最たるものである官僚が実質的に動かす政府においてもそうである。学術機関でも同様だ。
「本末転倒」は、日本における知識エリートの「普通」と化している。

ならば、WHOが指摘するように、ある程度の犠牲者を許容する倫理的に問題がある考え方であるから公式に認めるはずもないが、日本の政府には「自然感染による集団免疫獲得」という「本末転倒」が浸透していても不思議ではない。

そう考えれば、これまで、首相(安倍さん)が何を指示しようが、世論がどんなに叩こうが、なぜ政府が感染症検査能力の拡充に極めて消極的であったのかという、いまだに解明されない謎にも説明がつく。
また、世論がどんなに叩こうが、政府が「Go Toキャンペーン」を強行したがるのも頷ける。今発出されている2回目の緊急事態宣言が解除され次第、「Go Toトラベル」は再開される見込みとなっている。

ちなみに、世の中は気づいていないが、「知識」にはまともな反意語がない。これは、人類は「知識とは何か」がよく分かっていないことを示唆するものだ。「知識」は疑うべきものなのである。

コロナ禍で目につく日本政府の「普通」は、「本末転倒」だけではない。
無思考な集団では「対症療法」が多くなる。無思考では根本的な問題解決は難しく、そもそも根本的な問題解決の重要性に気づかない。

案の定、知識エリート集団であるがゆえに無思考な集団である多くの国の政府は、感染対策に「ハンマー&ダンス」と呼ばれるアプローチをとってきた。感染が激化したら対策を強化し(ハンマー)、ましになったら緩める(ダンス)というものである。
聞こえはいいが、これは根本的な問題解決のアプローチではなく、いわゆる「対症療法」でしかない。本来、「場当たり」「その場しのぎ」「もぐら叩き」などと呼ばれるべきものだ。

なのに、特に無思考になりやすい日本の政府では、特に「対症療法」が多くなる。
日本政府は、特に場当たり的「ハンマー&ダンス」を繰り返す。単発の「アベノマスク」、単発の学校一斉休校、水際対策の開け閉め、対策緊急事態宣言の発出/解除など、目白押しである。

残念ながら、これが日本政府の「普通」なのだ。昨年10月に発表された「新型コロナ対応・民間臨時調査会」の「政府の対応は場当たり的」とする指摘は正しい。

しかし、日本や世界の知識エリートの中には、場当たり的「ハンマー&ダンス」を戦略的と評価してきた者も少なくない。

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