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認識とは何か

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辞書によると、認識とは「ある物事を知り、その本質・意義などを理解すること」である(デジタル大辞泉)。

言葉の定義として「など」を使っていることが望ましくないことは不問にとしよう。
それでも、「本質・意義などを理解すること」が限定的という問題が残る。本質・意義などを理解していなくても、認識していることはある。

そこで、汎化された認識を求めてみる。

認識は、頭の中にある。
認識は、何かを表すものである。
つまり、認識とは「頭の中に生まれる、何かを表すもの」である。

「頭の中に生まれる、何かを表すもの」には、大別して、認識と想像がある。
認識は「現実に存在する/存在し得る事物を頭の中に表すもの」である。
想像は「現実に存在しない事物を頭の中に表すもの」である。

そして、「現実に存在する/存在し得る事物を頭の中に表す」は、認識が持つ「認識すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」、すなわち本質である。
よって、認識とは「現実に存在する/存在し得る事物を頭の中に表すもの」であることになる。

ただ、ちょっと長い。
認識が頭の中にあることは言わずもがなの前提したほうがよさそうだ。
また、「存在する/し得る事物」の意味で「存在する事物」と言う事も少なくないから、「存在する/し得る事物」は「存在する事物」と短縮しよう。

よって、認識とは「存在する事物を表すもの」である。
表す対象が存在する事物であるだけに、「存在する事物を再現するもの」と言ってもいい。

では、認識とはどのような構造をしているのだろう。
無論、物理的な構造ではなく、意味的な構造である。

言葉は、認識を表す認識である(「言葉とは何か」参照)。
ならば、言葉の構造を見れば、認識の構造を知ることができる。

構造の視点で単純に考えれば、言葉とは「単語間の関係」だ。
「単語間の関係」は、単語間を繋ぐものである。
「単語間の関係」は、単語なしでは成立しないが、単語ではない。

そして、一般的に、こうした構造を「ネットワーク構造」と言う。
ならば、「単語間の関係」はネットワーク構造を持つことになる。
個々の「単語間の関係」は、単語のネットワークの「リンク」であり、個々の単語は、単語のネットワークの「ノード」であるということだ。

ゆえに、言葉はネットワーク構造を持つ。
よって、認識はネットワーク構造を持つ。

また、言うまでもなく、認識とは「存在する事物を表すもの」である以上、要素分解できない事物が対象である場合を除き、認識は「存在する事物を表すもの」の集まりである。
つまり、認識の要素(属性)も「存在する事物を表すもの」である認識である。

よって、認識のリンクもノードも認識である。
認識は、リンクかノードである認識から成るネットワーク構造を持つ。

なお、認識の構造には、リンクとノード以外に「範囲」という要素(属性)がある(認識の要素ではなく、認識の構造の要素)。
つまり、すべての認識は、ある範囲の中で、認識をネットワーク化したものである。

認識の構造に範囲があるから、認識には範囲だけで要素(属性)を持たない認識もある。
いわゆる「空集合」である。

また、認識の構造に範囲があるものだから、我々は、個々の事物のとは別に事物の集まりが存在するような気に陥りやすい。
例えば、個々の国民とは別に「国」というものが存在するような気に陥りやすい。

しかし、「国」とは、個々の国民の集まりではあるが、複数の個々の国民を認識上で括ったものでしかない。
存在するのは個々の国民だけであり、個々の国民とは別に「国」が存在するわけではない。

そこを間違えると、個々の国民を犠牲にしても「国」を守ろうとするような、全体主義と呼ばれる愚かな考えが蔓延ることになる。
「範囲」は、あくまでも認識の要素ではなく、認識の構造の要素であり、「存在する/し得る事物を表すもの」ではないことに注意が必要である。

ちなみに、認識には、プロセスとしての「認識(=認識すること)」と、プロセスのアウトプットとしての認識がある。
認識をプロセスとしての認識に限定して考えている人を見かけることがあるが、その理解は誤りだ。

私の知る限り、そうした理解は日本人に多い。おそらくどちらも「認識」と言うからだろう。
他方、英語では、プロセスとしての認識は「recognizing」、アウトプットとしての認識は「recognition」と別表現であるせいか、英語圏の人にはそうした理解はあまり見られない。

Good? or Not Good?