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矛盾とは何か

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辞書によれば、矛盾とは「二つの物事がくいちがっていて、つじつまが合わないこと」(デジタル大辞泉)である。

「二つの物事」は限定的である。矛盾は「三つ以上の物事」でも起き得る。
また、「つじつまが合わないこと」は、「矛盾していること」の単なる言い換えでしかない。
これでは、まったく参考にならない。

そこで、改めて一から矛盾とは何かを考える。

世の中では、例えば『「私は男である」かつ「私は女である」』という認識は、矛盾するとされる。
しかし、「私は男である」という認識と「私は女である」という認識が矛盾するわけではない。

実は、そこには「人間は男か女のどちらかである」という「言わずもがな」の認識があり、これらの認識と『「私(という人間)は男である」かつ「私(という人間)は女である」』という認識が矛盾する。

つまり、「人間は男か女のどちらかである」という認識と『「私は男である」かつ「私は女である」』という認識が矛盾するということは、「人間は男か女のどちらかである」という認識と『「私は男である」かつ「私は女である」』という認識のどちらかが成立するとき他が成立しないということだ。

そして、このことから、矛盾とは「どれかが成立するとき他が成立しない認識間の関係」であると考えることができる。

他に、推論における矛盾の例も見ておこう。

『「私は人間である。ならば私は死ぬ」』という認識、すなわち推論は矛盾しない。
これは、「人間は死ぬ」という「言わずもがな」の認識(ルール)と『「私は人間である(前提)。ならば私は死ぬ(結論)」』という認識が矛盾しないということだ。

では、『「私は人間である。ならば私は死ぬ」』という認識を『「私は人間である。ならば私は死なない」』と変えたらどうだろう。

すると、「人間は死ぬ」という認識と『「私は人間である。ならば私は死なない」』という認識は矛盾する。
この場合、矛盾は、「人間は死ぬ」という認識と『「私は人間である。ならば私は死なない」』という認識間の、どちらかが成立するとき他が成立しないという関係である。

よって、この場合においても、矛盾とは「どれかが成立するとき他が成立しない認識間の関係」であると考えることができる。

そして、「どれかが成立するとき他が成立しない認識間の関係」は、あらゆる矛盾に当てはまる。
さらに、一般的に、「どれかが成立するとき他が成立しない想像間の関係」も矛盾と呼ぶ。
したがって、矛盾とは「どれかが成立するとき他が成立しない認識(想像)間の関係」である。

なお、辞書には、矛盾とは「命題論理学で、複合命題からなる論理式の各要素命題にいかなる真理値を与えても必ず偽となる式」ともある。
論理学における矛盾の解釈だ。

これは、「命題」も「論理式」も認識(想像)であると考えれば「複数の認識からなる認識の各要素認識にいかなる真理値を与えても必ず偽となる認識(想像)」となる。
詳しく咀嚼すると長くなるので別の機会に譲るが、要は「全体として必ず偽となる認識(想像)」である。

他方、既述のように、矛盾とは「どれかが成立するとき他が成立しない認識(想像)間の関係」である。
一般的に、「認識(想像)間の関係」を「認識(想像)」と言うこともある。

ゆえに、「成立しない」を「偽」と捉えれば、矛盾も「全体として必ず偽となる認識(想像)」であると言えなくもない。
よって、論理学における矛盾の解釈は正しく見えなくもない。

しかし、「成立しない」と「偽」は違う。
「成立しない」ことは認識でも想像でもあり得るが、「偽」であることは認識でしかあり得ない。

つまり、論理学における矛盾の解釈は、「全体として必ず偽となる認識」なのだ。
矛盾に当てはまるとしても、認識における矛盾にしか当てはまらず、想像における矛盾には当てはまらない。
その意味で、論理学における矛盾の解釈は、誤りである。

仮に、「成立しない」と「偽」は同じであるとしよう。
「どれかが成立するとき他が成立しない認識間の関係」は、要素認識すべてが偽である場合を含まない。
対して、「全体として必ず偽となる認識」は、要素認識すべてが偽である場合も含む。
その意味でも、論理学における矛盾の解釈は、誤りである。

そもそも、一般的に「その認識は矛盾だ」とは言わず、「その認識には矛盾がある」や「その認識は矛盾している」と言うことからすれば、矛盾を認識とすることはできない。
その意味でも、論理学における矛盾の解釈は誤りなのである。

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