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社会とは何か

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ここでは人間の社会だけを社会と呼ぶ。
社会は、人の集まりである。

あらゆる社会からすべての偶有性を捨てると、残るのは「価値をやりとりする関係」という属性である。
「価値をやりとりする関係」は、社会すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない。

ゆえに、社会という人の集まりの本質は「価値をやりとりする関係」である。
よって、社会とは「価値をやりとりする関係にある人の集まり」である。
要は、社会とは「価値をやりとりする人の集まり」なのだ。

では、世の中はどう考えているのだろう。

辞書によると、社会とは「人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう」である(デジタル大辞泉)。

しかし、社会が「生活」であるとすると、「社会生活」という実在する事物についての概念が「生活(の)生活」となってしまい成り立たなくなる。よって、「人間の共同生活の総称」は誤りである。

同様に、社会が「営み」であるとすると、「社会の営み」という実在する事物についての概念が「営みの営み」となってしまい成り立たなくなる。よって、「人間の集団としての営みや組織的な営み」も誤りである。

社会が「生活」や「営み」であるとしても、どのような「生活」や「営み」であるかが示されていない。

世の中は「社会とは何か」を分かっていないのだ。

仮に、社会とは「価値をやりとりする人の集まり」であると分かっているとしたところで、「価値とは何か」を分かっていない。
だから、結局、世の中は「社会とは何か」を分かっていない(「価値とは何か」参照)。

それだけではない。
世の中は「良さとは何か」も分かっていない(「良さとは何か」参照)。
「正しさとは何か」も分かっていない(「正しさとは何か」参照)。

さらに、「論理とは何か」も分かっていない(「論理とは何か」参照)。
論理は正しさを導出するための強力な武器となり得るものなのに、である。

そして、そもそも「本質とは何か」も分かっていない(「本質とは何か」参照)。
本質は正しさの根本をなすものであるにも関わらず、である。

しかも、世の中は、それらのことを分かっていないことも分かっていない。
これでは、社会を良いものにすることも、正しいものにすることもできるはずがない。

人類は、まだまだ本当に無知である。
知っているつもりになっているだけなのだ。

我々は、二千年以上も前に古代ギリシアの哲学者であるソクラテスが提唱していた「無知の知」から始めなければならない、と思う。

Good? or Not Good?