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本質とは何か ①

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「本質とは何か」
そう尋ねられて、答えに迷わない者は、まずいない。

そうなるのも無理はない。
なぜなら、世の中には、まだ「本質とは何か」の標準的な答えがないからだ。

実は、「本質とは何か」は、古代ギリシア時代以来続く人類の謎のまま。
全体として、世の中は「本質とは何か」が分かっていない。

では、本質とは何か。

哲学で、本質とは「それをそれたらしめるもの」であるとされる。
「それをそれたらしめるもの」は、「ある事物をある事物として規定するもの」、短くは「ある事物を規定するもの」と言い換えることができる。
また、同じく哲学で、本質は普遍的であるともされる。

ならば、本質とは「ある事物を普遍的に規定するもの」であり、「ある事物を普遍的に規定するもの」とは「『ある事物が何か』を規定するもの」に他ならない。
よって、本質とは「『ある事物が何か』を規定するもの」であると考えることができる。

しかし、「『ある事物が何か』を規定するもの」に該当するものはどういうものなのか。
その点が謎のままなのだ。

そこで、「『ある事物が何か』を規定するもの」を探してみると、この世に1つだけある。
それは、「ある事物すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」、すなわち「ある事物の普遍的な特徴」だ。

「ある事物の普遍的な特徴」は、例えばそれがXである場合、「ある事物が何か」を「Xという普遍的な特徴を持つもの」と規定する。
「ある事物の普遍的な特徴」によって規定した事物は、「ある事物が何か」そのもの、すなわち「ある事物そのもの」である。
対して、「ある事物の普遍的な特徴」以外の属性によって規定した事物は、「ある事物が何か」らしきもの、すなわち「ある事物らしきもの」でしかない。

つまり、本質とは「ある事物の普遍的な特徴」である。
本質は、例えばそれがXである場合、「ある事物が何か」を「Xという本質を持つもの」と規定する。
本質によって規定した事物は、「ある事物そのもの」である。
対して、本質以外の属性によって規定した事物は、「ある事物らしきもの」でしかない。

実は、自然科学の基盤は、本質である。

自然科学において、例えば、水が持つ「ある事物の普遍的な特徴」である「化学式H2Oで表される構造」という属性が特定されているように、自然界の基礎的な事物それぞれが持つ「ある事物の普遍的な特徴」が特定されてきた。
また、「水が何か」が「化学式H2Oで表される構造という普遍的な特徴を持つもの」と規定されているように、自然界の基礎的な事物それぞれについて、「ある事物が何か」は「Xという普遍的な特徴を持つもの」と規定されている。
「本質とは何か」が分からなかったため、それらは「本質」と呼ばれてこなかったものの、自然科学では、自然界の基礎的な事物の本質が特定されてきたことになる。

そして、水が「水らしきもの」ではなく「水そのもの」だから、水に関連する自然法則は成立するように、自然界の基礎的な事物それぞれが「ある事物らしきもの」ではなく「ある事物そのもの」だから、自然法則は成立する。
普遍的なものである本質をベースとして、普遍的なものである自然法則が発見され、それらの体系である自然科学が構築されてきた。

世の中が「本質とは何か」が分かっていないながらも、本質とは「事物の根本」であるとの漠然としたイメージを持っているのは、このことによるのだろう。

なお、本質の本質は、「本質すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」、すなわち「本質の普遍的な特徴」だ。
「本質の普遍的な特徴」は「本質が何か」を「『ある事物の普遍的な特徴』という普遍的な特徴を持つもの」と規定する。
つまり、本質が「ある事物の普遍的な特徴」であることは、本質の本質にも当てはまり、本質が「ある事物が何か」を規定するものであることは、「本質が何か」にも当てはまる。

また、「ネコが何か」は、「ネコすべて」としての「ネコ」と、「ネコの一つ(一匹)」としての「ネコ」の両方を意味し得るように、「ある事物が何か」は、「ある事物すべて」としての「ある事物」と、「ある事物の一つ」としての「ある事物」の両方を意味し得る。

しかし、「ネコの普遍的な特徴」すなわちネコの本質によって規定した「ネコが何か」は、「ネコすべて」としての「ネコ」を意味するが、「ネコの一つ(一匹)」としての「ネコ」を意味しないように、「ある事物の普遍的な特徴」すなわち本質によって規定した「ある事物が何か」は、「ある事物すべて」としての「ある事物」を意味するが、「ある事物の一つ」としての「ある事物」を意味しない。

「ネコすべて」としての「ネコ」である「普遍のネコ」が、「ネコの一つ(一匹)」としての「ネコ」である「個別のネコ」に対置されるものであるように、「ある事物すべて」としての「ある事物」である「普遍の事物」は、「ある事物の一つ」としての「ある事物」である「個別の事物」に対置される。

ここで、さらに深く考えておかねばならないことがある。

厳密には、「ある事物すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」は、現実の「ある事物」に存在するわけではない。
このことは、過去や現在だけでなく未来にも生まれる「ある事物」の場合を考えると分かりやすい。

その場合、「ある事物すべて」を意味する「ある事物」は、未来に生まれる「ある事物」も含む。しかし、未来に生まれる「ある事物」はまだ存在せず、そうである以上、「ある事物すべて」を意味する「ある事物」は、いつになっても存在しない。当然、存在しないものの属性も存在しない。

ゆえに、「ある事物すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」、すなわち「ある事物の普遍的な特徴」は、現実の「ある事物」の属性ではなく、「ある事物すべて」を意味する認識上の「ある事物」の属性であると考えるしかない。
よって、本質は、認識上の「ある事物の普遍的な特徴」であり、現実の「ある事物の普遍的な特徴」ではない。

つまり、認識上の事物の属性もまた認識であるから、本質は、あくまでも認識上の「ある事物が何か」を規定する、「ある事物の普遍的な特徴」を表す認識なのだ。
また、認識とは、現実の事物を頭の中に表すものであり、その意味で「現実の事物の見方」、要は「事物の見方」である。
だから、本質とは「事物の見方の根本」である。世の中がイメージする「事物の根本」ではない。

そして、現実の事物(通常、現実の事物の集まり)を「現実」と呼べば、認識とは、現実を頭の中に表すものであり、その意味で「現実の見方」である。
したがって、本質とは「現実の見方の根本」である。

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