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概念とは何か

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本質辞典(essential.pedia)
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辞書によれば、概念とは「個々の事物から共通な性質を取り出してつくられた表象。内包(意味内容)と外延(適用範囲)とからなり、名辞と呼ばれる言語によって表わされる」(精選版 日本国語大辞典)である。

難解な感じがするが、実は、本質とは何かを分かっている者には、そうでもない(「本質とは何か」参照)。
「個々の事物から取り出した共通な性質」は本質に当たり、「表象」は認識に当たる。
よって、「個々の事物から共通な性質を取り出してつくられた表象」は「本質が規定する認識」であることになる。

また、「内包(ないほう)」も本質に当たり、「外延(がいえん)」は、本質を持つ事物すべてを指す。
「内包と外延とからなる」は、「本質が規定する認識」である「〇〇という本質を持つ事物(すべてを表す認識)」を説明するものと言える。

つまり、概念とは、本質が規定する「〇〇という本質を持つ事物(すべてを表す認識)」であることになる。
要は、概念とは「ある事物が何か(を表す認識)」なのである。

辞書は、世の中の言葉についての理解を反映する。
どうやら、世の中は、「本質とは何か」を分かっていないながらも、本質が規定する概念については概ね分かっているようだ。

ただし、「内包」「外延」などという一般的にはまったく使われない言葉をわざわざ使う必要はない。
本質が規定する「ある事物が何か(を表す認識)」でいい。

ここで、少し「概念化」について考えてみたい。

概念化とは、「ある事物が何か(を表す認識)」をつくることである。
「ある事物が何か(を表す認識)」をつくることは、ある事物の本質を求め、それによって「ある事物が何か」を規定することである。

また、ある事物の本質を求めることは、ある事物のすべての偶有性を捨てることだ。
ゆえに、概念化とは、事物のすべての偶有性を捨てることでもある。

そして、事物の偶有性を捨てることは、事物を抽象化することであり、逆に、事物に偶有性を付加することは、事物を具象化(具体化)することだ。
事物の偶有性を捨てることは、事物を普遍化することであり、逆に、事物に偶有性を付加することは、事物を個別化することである。

だから、概念化とは、抽象化であり、普遍化である。
平たく言えば、概念化とは「本質を突いた、単純で広く使えるネーミング」とでもいったところだろう。

悔しいが、日本人は、概念化があまり得意ではないようだ。
近現代の世界において新たにつくられた概念の大半は欧米発であり、日本発のものは殆どない。

グローバル言語である英語になっている日本語もあるにはあるが、例えば「SUSHI(寿司)」「MANGA(漫画)」「BONSAI(盆栽)」のように、もともと日本にしかなかった事物の名前が大勢を占める。
これらは、もともと世界中にあった事物に対して「本質を突いた、単純で広く使えるネーミング」をしたものではない。

特に、ビジネスの領域における新概念では、圧倒的に米国発のものが多い。それらは、そこそこ本質を突いたものであり、ゆえに世界に広がっている。
日本では、英語をカタカナにして使うか、英語をそのまま使うことが、今や一般的となってしまっている。例えば「ビジネスモデル」「プラットフォーム」「シェアリングエコノミー」「カスタマイズ」「ブランド」「マーケティング」「バリューチェーン(Value Chain)」「B to B」「B to C」などなどだ。

このことは、欧米人、特に米国人に比べて、日本人は本質を見極める力が弱いという実態を示す。
そして、それは、多くの面で日本は欧米諸国に後れを取り続けていることの大きな要因であると私は見る。

しかし、欧米人といえども「本質とは何か」を分かっているわけではない。本質に近い感覚を持っているだけなのだ。

日本人は、「本質とは何か」を分かってしまえば、彼らに追いつける。
さらに、日本人特有の美徳を維持できれば、彼らを抜き去り、彼らがリードしてつくる社会よりも良い社会をつくることができると私は思っているのだが、いかがだろう。

Good? or Not Good?