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「違う」とは何か

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辞書によれば、「違う」とは「比べてみて同じでない状態を呈する」(デジタル大辞泉)である。

「比べてみて」は会話調の表現であり、「比べる」対象は事物の属性である。
「比べてみて同じでない状態を呈する」より「事物の属性が同じでない状態を呈する」のほうがいい。

一般的に、「違う状態を呈する」という表現が成立するから、もしも「違う」が「状態を呈する」であるなら、「違う状態を呈する状態を呈する」という表現が成立することになるが、実際には成立しない。
よって、「違う」が「状態を呈する」であるとは考えづらい。
「事物の属性が同じでない状態を呈する」は「事物の属性が同じでないこと」でいいだろう。

しかし、『「同じ」とは何か』で見たように、辞書に基づけば「同じ」とは「事物の属性に違いがないこと」と考えられる。
「違う」が「事物の属性が同じでないこと」では、「違う」と「同じ」の意味が堂々巡りになってしまう。
「違う」が「同じ」ではないことであり、「同じ」が「違う」ではないことになるからだ。

そこで、人は、何かの事物が「同じ」であると考える理由を問われると、どう答えるかを考えてみる。
すると、概してそれらの事物の間に違いがないことを挙げることに気づく。

ならば、「同じ」とは「事物の属性に違いがないこと」でよさそうだ。
対して、「違う」とは「事物の属性が同じでないこと」ではダメそうである。

では、逆に、人は、何かの事物が「違う」と考える理由を問われると、どう答えるだろう。

もちろん、辞書でさえ堂々巡りをしているくらいだから、それらの事物が「同じ」ではないことを挙げることもあるだろう。
だが、多くの場合、事物の属性間の様々な意味での「ズレ」を指摘する。

例えば、五感で考えると、次のような「ズレ」だ。
視覚では、物体の形、大きさ、構造の「ズレ」。
聴覚では、音の種類、高さ、強さの「ズレ」。
嗅覚では、臭いの種類、強さの「ズレ」。
味覚では、味の種類、強さの「ズレ」。
触覚では、触れた感触の種類、強さの「ズレ」。

これらの「ズレ」は、五感を通じて得られる事物の認識の属性間の「ズレ」である。
人は、事物の属性の認識も含めて、事物の認識を頭の中で重ね合わせることで認識される「ズレ」があること「違い」があると認識しているのだろう。

このことは、視覚における形や大きさの場合にイメージしやすいが、おそらく五感の他の場合でもそうである。
近年は人間の感覚には五感以外の感覚が多くあることが分かってきているが、そうした感覚の場合もそうだろう。
例えば「意味」という感覚もその内の一つに違いない(「意味とは何か」参照)。

実は、先述の辞書には、「違う」の「事物の属性が同じでないこと」以外のサブ的な解釈として「隔たり」「差」「一致しないこと」なども掲載されている。
これらも、みな「ズレ」の一種と考えられる。
辞書における「違う」のサブの解釈こそ、本質的な意味に近いのだ。

ならば、である。
「違う」とは「事物の属性にズレがあること」であることになる。

そして、「同じ」と同様に、「違う」も認識の属性間の関係である(「関係とは何か」参照)。
よって、「違う」とは『認識の属性間の「ズレがある」という関係』であることになる。
短縮すれば『認識間の「ズレがある」という関係』である。

そして、『認識間の「ズレがある」という関係』は、「違う」すべてに当てはまり、「違う」以外の事物すべてに当てはまらない。
したがって、「違う」とは『認識間の「ズレがある」という関係』である。

なお、事物が「違う」こと、すなわち事物の「違い」を見出すことは、認識の根本の根本をなすものだ。
現実に「同じ」事物は存在しない。
事物の「違い」を見出すことが、事物の「区別」に繋がり、多種多様に違う数多の事物だけで構成される現実を認識することに繋がるからである。

これまで認識の根本としてきた「本質」も、事物の「違い」を見出すことができなければ、見極めることができない。
本質とは「普遍的な特徴」という、「違い」の一種であるからだ。

「違いが(よく)分かる人」になろう。

Good? or Not Good?